メダカ飼育に適した水は弱酸性~弱アルカリ性(pH6.5~7.5)となっています。軟水~中程度の硬水で有機質を適度に含んだ水が適しているのです。
以下のレポートは極端な例ですが、メダカ飼育において大変参考になるレポートなのです。
以下のレポートは極端な例ですが、メダカ飼育において大変参考になるレポートなのです。
❖PHに関するミズ湖での検査レポート・・・酸性化が進行する「死の湖」
水が酸性化してくると、魚の体内塩分濃度が下がって弱っていきました。酸性化と共に溶けだしてくる水銀やアルミニウムイオンなどの毒性がエラを侵し、成魚は呼吸できなくなります。
●PH5.9
700万個体いたと言われるプランクトンが一年以内にまったくいなくなりました。
それによりそれをエサにしていたマス類の稚魚が死滅してしまいました。
●PH5.6
酸性化が強まるにつれ、カルシウムがうまく吸収できなくなりザリガニの殻が軟らかくなりました。
●PH5.1
エサになる全ての生物が死滅したため大型のマスが共食いを始めました。
その後、カゲロウのエサとなっていたユスリカだけが大発生するようになりました。
●PH4.5
マスやカジカなどの魚類は、まったく存在しなくなりました。
生き物は死に絶え、酸性化による「死の湖」となったのです。
水が酸性化してくると、魚の体内塩分濃度が下がって弱っていきました。酸性化と共に溶けだしてくる水銀やアルミニウムイオンなどの毒性がエラを侵し、成魚は呼吸できなくなります。
●PH5.9
700万個体いたと言われるプランクトンが一年以内にまったくいなくなりました。
それによりそれをエサにしていたマス類の稚魚が死滅してしまいました。
●PH5.6
酸性化が強まるにつれ、カルシウムがうまく吸収できなくなりザリガニの殻が軟らかくなりました。
●PH5.1
エサになる全ての生物が死滅したため大型のマスが共食いを始めました。
その後、カゲロウのエサとなっていたユスリカだけが大発生するようになりました。
●PH4.5
マスやカジカなどの魚類は、まったく存在しなくなりました。
生き物は死に絶え、酸性化による「死の湖」となったのです。
❖「死の川」を魚の棲む川に変えた中和事業(品木ダム水質管理所)
草津白根山やその周辺の山が硫黄を多く含んでいるため、ここを水源とする川は強い酸性となります。湯川がpH2、谷沢川と大沢川がpH3程度です。
さらに、これらの川が合流する吾妻川も強い酸性の水が流れる川となり、中和事業が行われる前は魚も棲まない「死の川」と呼ばれていました。
川が強い酸性であるため、コンクリートや鉄が溶けてしまい橋などの建造物が造れない、飲料水として利用できない、農業に利用できないなどこの地域の人々を苦しめてきました。
そこで、強い酸性の川を中和することができないかということで始まったのが中和事業への取り組みです。
この事業は昭和32年から始まり、昭和39年に酸性河川を中和する世界で始めての工場として、草津中和工場が稼動しました。その後、昭和61年から香草中和工場が稼動しています。
中和方法は、コスト面・管理面などから石灰水(石灰の粉を水に溶かしたもの)を河川に投入する方法が採用されました。中和事業は365日24時間止めることができないため、安定した供給が見込まれる石灰は中和の材料として、適しているのです。
水質の改善目標値は品木ダム地点でpH5〜6としています。これはダムの下流にある吾妻川で魚が生息でき、農業用水として適する値であり、発電にも利用している品木ダムの導水管(鉄製)腐食防止の条件を満たすものとなっています。
草津白根山やその周辺の山が硫黄を多く含んでいるため、ここを水源とする川は強い酸性となります。湯川がpH2、谷沢川と大沢川がpH3程度です。
さらに、これらの川が合流する吾妻川も強い酸性の水が流れる川となり、中和事業が行われる前は魚も棲まない「死の川」と呼ばれていました。
川が強い酸性であるため、コンクリートや鉄が溶けてしまい橋などの建造物が造れない、飲料水として利用できない、農業に利用できないなどこの地域の人々を苦しめてきました。
そこで、強い酸性の川を中和することができないかということで始まったのが中和事業への取り組みです。
この事業は昭和32年から始まり、昭和39年に酸性河川を中和する世界で始めての工場として、草津中和工場が稼動しました。その後、昭和61年から香草中和工場が稼動しています。
中和方法は、コスト面・管理面などから石灰水(石灰の粉を水に溶かしたもの)を河川に投入する方法が採用されました。中和事業は365日24時間止めることができないため、安定した供給が見込まれる石灰は中和の材料として、適しているのです。
水質の改善目標値は品木ダム地点でpH5〜6としています。これはダムの下流にある吾妻川で魚が生息でき、農業用水として適する値であり、発電にも利用している品木ダムの導水管(鉄製)腐食防止の条件を満たすものとなっています。
❖「死の湖」に生命よ再び、秋田県田沢湖
戦時中、国策の電源開発によって酸性の強い水が流れ込み、魚のほとんど住めない「死の湖」と化した田沢湖で2010年に本格的な中和化事業が始まったが効果は徐々に現れ、水深の比較的浅いところでは中和化が順調に進んでいる。ところが、改善の歩みは、水深が深くなるにつれて遅くなっており、湖に棲めるのは、いまのところ酸性に強いウグイに限られている。青々と水をたたえる「神秘の湖」に、様々な魚が回遊する光景が戻るのはまだまだ遠い先になりそうだ。湖の再生にかかる膨大な時間とコストは、半世紀以上前の自然破壊の代償の重さを示している。
●クニマスも犠牲に
かつて田沢湖は、アユなど約20種類の魚がすむ豊かな湖だった。1940年、湖水を発電用水として利用するために、近くの玉川の水を導入する水路が作られた。源流の玉川温泉は国内屈指の強酸性。古くから「玉川毒水」と呼ばれ、アルカリ性、酸性の度合いを示すpH(水素イオン濃度)は1.1前後(7が中性で、値が小さいほど酸性が強まる)。「毒水」流入の結果、わずかな部分で生き延びたウグイを除き、魚は数年で姿を消した。その中には田沢湖にしかいない特産種とされたクニマスも含まれていた。
「魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民は国策に反対できる時代ではなかった」。若いころにクニマス漁の経験があるという田沢湖町の三浦久兵衛さん(75)は振り返る。約70人いた漁師は、わずかな補償金と引き換えに網を捨てざるを得なかったという。
●上流に中和処理施設
「毒水」流入前はpH6.7と中性に近い水質だった田沢湖は、1970年ごろにはpH4.2まで酸性化が進んだ。玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望。施設は約34億円の費用をかけて1989年秋に完成した。
この施設の主目的は、あくまでも約20キロ下流にある玉川ダムのコンクリートの保護だが、玉川温泉の水をpH3.5程度にまで中和するため、田沢湖の水質改善の効果も期待されている。建設省玉川ダム管理所によると、中和剤として使用される石灰石の量は一日当たり約30トン。同管理所の奥山清一所長は「ダムが不要になるか温泉が枯れるまでは、中和処理を続けるしかない」と話す。施設に投じられる費用は年間約2億円にも上る。
●深度で改善に差
田沢湖の酸性度を調査している県環境技術センターによると、中和処理が始まる前の1988年にはpH4.7前後だったが、昨年では湖水表面はpH5.63まで改善。目標値の6.0に近づきつつある。その一方で、水深400メートルではpH4.88と、改善のペースは遅い。田沢湖は日本一深い湖で423メートルといわれている。
●地元で高まる期待
改善が進むにつれ、地元では稚魚の放流によって田沢湖に魚を戻そうという動きが出ている。西木村では1994年から毎年、ウグイとコイを放流。湖岸でえづけしている田沢湖プリンスホテルの根本成幸支配人は、「ここ数年でウグイはかなり増えてきた。最近はえさをやると勢いよく群がってきます」とうれしそうだ。
一方、田沢湖町は魚の生息の可能性を調べるために、1991年からいけすでアユやイワナ、ニジマスなどを飼育しているが、湖水表面ですら魚は一週間程度で死んでしまうという。いまのところ、ウグイ以外の魚が生き延びて繁殖するのは無理というのが、大半の関係者の見方だ。
戦時中、国策の電源開発によって酸性の強い水が流れ込み、魚のほとんど住めない「死の湖」と化した田沢湖で2010年に本格的な中和化事業が始まったが効果は徐々に現れ、水深の比較的浅いところでは中和化が順調に進んでいる。ところが、改善の歩みは、水深が深くなるにつれて遅くなっており、湖に棲めるのは、いまのところ酸性に強いウグイに限られている。青々と水をたたえる「神秘の湖」に、様々な魚が回遊する光景が戻るのはまだまだ遠い先になりそうだ。湖の再生にかかる膨大な時間とコストは、半世紀以上前の自然破壊の代償の重さを示している。
●クニマスも犠牲に
かつて田沢湖は、アユなど約20種類の魚がすむ豊かな湖だった。1940年、湖水を発電用水として利用するために、近くの玉川の水を導入する水路が作られた。源流の玉川温泉は国内屈指の強酸性。古くから「玉川毒水」と呼ばれ、アルカリ性、酸性の度合いを示すpH(水素イオン濃度)は1.1前後(7が中性で、値が小さいほど酸性が強まる)。「毒水」流入の結果、わずかな部分で生き延びたウグイを除き、魚は数年で姿を消した。その中には田沢湖にしかいない特産種とされたクニマスも含まれていた。
「魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民は国策に反対できる時代ではなかった」。若いころにクニマス漁の経験があるという田沢湖町の三浦久兵衛さん(75)は振り返る。約70人いた漁師は、わずかな補償金と引き換えに網を捨てざるを得なかったという。
●上流に中和処理施設
「毒水」流入前はpH6.7と中性に近い水質だった田沢湖は、1970年ごろにはpH4.2まで酸性化が進んだ。玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望。施設は約34億円の費用をかけて1989年秋に完成した。
この施設の主目的は、あくまでも約20キロ下流にある玉川ダムのコンクリートの保護だが、玉川温泉の水をpH3.5程度にまで中和するため、田沢湖の水質改善の効果も期待されている。建設省玉川ダム管理所によると、中和剤として使用される石灰石の量は一日当たり約30トン。同管理所の奥山清一所長は「ダムが不要になるか温泉が枯れるまでは、中和処理を続けるしかない」と話す。施設に投じられる費用は年間約2億円にも上る。
●深度で改善に差
田沢湖の酸性度を調査している県環境技術センターによると、中和処理が始まる前の1988年にはpH4.7前後だったが、昨年では湖水表面はpH5.63まで改善。目標値の6.0に近づきつつある。その一方で、水深400メートルではpH4.88と、改善のペースは遅い。田沢湖は日本一深い湖で423メートルといわれている。
●地元で高まる期待
改善が進むにつれ、地元では稚魚の放流によって田沢湖に魚を戻そうという動きが出ている。西木村では1994年から毎年、ウグイとコイを放流。湖岸でえづけしている田沢湖プリンスホテルの根本成幸支配人は、「ここ数年でウグイはかなり増えてきた。最近はえさをやると勢いよく群がってきます」とうれしそうだ。
一方、田沢湖町は魚の生息の可能性を調べるために、1991年からいけすでアユやイワナ、ニジマスなどを飼育しているが、湖水表面ですら魚は一週間程度で死んでしまうという。いまのところ、ウグイ以外の魚が生き延びて繁殖するのは無理というのが、大半の関係者の見方だ。
❖クニマス絶滅してなかった! 生息確認、さかなクン一役
環境省のレッドリストで「絶滅」扱いになっている日本固有の魚クニマスが、山梨県内の湖で生き残っていたことが、京都大学の中坊徹次教授らのグループの調査で分かった。生息の確認は約70年ぶり。国のレッドリストで絶滅種に指定された魚が再発見されたのは初めて。環境省は今後、レッドリストの記述を見直す方針だ。
クニマスはもともと、秋田県の田沢湖にのみ生息する固有種で、成長すると全長30センチほどになる淡水魚。食用魚として漁業の対象にもなっていた。だが、1940年以降、発電などのための導水工事で田沢湖に酸性の水が入り、まもなく死滅。地球上から姿を消したと考えられていた。
クニマスの生息が確認されたのは富士山に近い山梨県の富士五湖の一つ、西湖(さいこ)。2010年3月から4月にかけて西湖で地元漁協が捕獲した通称「クロマス」と呼ばれる魚9匹を中坊教授らが分析した。
全体に黒っぽい体色だけでなく、エラの構造や消化器官の形などがいずれもクニマスと一致した。1~3月に産卵するという生態も、過去に記録されていたクニマスの生態と同じだった。また、遺伝子解析の結果、西湖に生息するヒメマスと異なり、ヒメマスと交雑したものでないことが裏付けられた。近く、クニマスの生息確認を報告する論文が、学術専門誌に掲載される見通しだ。
中坊教授が2010年2月、研究者としての好奇心もあり、旧知でテレビなどで活躍する東京海洋大学客員准教授のさかなクンに、生き生きとしたクニマスの姿を絵で再現するよう頼んだのがきっかけだった。さかなクンが絵の参考にと近縁種のヒメマスを西湖から取り寄せると、黒一色の魚が届いた。
田沢湖で絶滅する5年ほど前、放流用にクニマスの卵が10万粒、西湖に運ばれた記録がある。このとき放流されたものが繁殖を繰り返し、命をつないできたとみられる。
環境省のレッドリストで「絶滅」扱いになっている日本固有の魚クニマスが、山梨県内の湖で生き残っていたことが、京都大学の中坊徹次教授らのグループの調査で分かった。生息の確認は約70年ぶり。国のレッドリストで絶滅種に指定された魚が再発見されたのは初めて。環境省は今後、レッドリストの記述を見直す方針だ。
クニマスはもともと、秋田県の田沢湖にのみ生息する固有種で、成長すると全長30センチほどになる淡水魚。食用魚として漁業の対象にもなっていた。だが、1940年以降、発電などのための導水工事で田沢湖に酸性の水が入り、まもなく死滅。地球上から姿を消したと考えられていた。
クニマスの生息が確認されたのは富士山に近い山梨県の富士五湖の一つ、西湖(さいこ)。2010年3月から4月にかけて西湖で地元漁協が捕獲した通称「クロマス」と呼ばれる魚9匹を中坊教授らが分析した。
全体に黒っぽい体色だけでなく、エラの構造や消化器官の形などがいずれもクニマスと一致した。1~3月に産卵するという生態も、過去に記録されていたクニマスの生態と同じだった。また、遺伝子解析の結果、西湖に生息するヒメマスと異なり、ヒメマスと交雑したものでないことが裏付けられた。近く、クニマスの生息確認を報告する論文が、学術専門誌に掲載される見通しだ。
中坊教授が2010年2月、研究者としての好奇心もあり、旧知でテレビなどで活躍する東京海洋大学客員准教授のさかなクンに、生き生きとしたクニマスの姿を絵で再現するよう頼んだのがきっかけだった。さかなクンが絵の参考にと近縁種のヒメマスを西湖から取り寄せると、黒一色の魚が届いた。
田沢湖で絶滅する5年ほど前、放流用にクニマスの卵が10万粒、西湖に運ばれた記録がある。このとき放流されたものが繁殖を繰り返し、命をつないできたとみられる。
※最後に
ご覧になられている記事は、内容の見直し、文章の誤り(誤字や不適切な表現)による修正で内容が更新されることがあります。
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