今日は「秋分の日」。秋分の日はご存知の通り国民の祝日で、祖先をうやまい亡くなった人をしのぶ国民の祝日だそうです。秋分の日の日はお彼岸の中日となっており、天気のいい本日は墓参りをする方も多かったのではないでしょうか。

いい天気になった「秋分の日」ですが、最高気温が30℃を超える『真夏日』となりました。

なんでか、暑い正午頃に近くの川沿いの道をジョギングしましたが、目の前が真っ白になるような暑さでした。熱中症に気を付けないといけません。

そのジョギング前にメダカのオスメスの写真(別プログでオスメスの見分け方を書きましたが写真がないので後から:撮りました)を撮りましたが、その写真を撮っている時に「昔(昭和)はこんなことやらなかったなぁ」と思いながら撮っておりました。「そもそも、まともに飼っていないし。」と思っておりました。

今でこそ、メダカの地位は向上して品種改良を重ねて何百種類ものメダカが販売されていますし、メダカブームも手伝って、愛好家やブリーダーの方はもとより、一般の方々まで気軽に飼育して、インターネットで飼い方を見ることもできますし、書籍もメダカコーナーがあるぐらいに沢山販売されております。大衆魚の象徴「金魚」の人気を超えつつあるといっても過言ではありません。

そんな人気のメダカですが、昭和の時代はどうだったのでしょうか?

今は令和の時代です。昭和の時代は令和の2つも前の時代で、ちょっと「うろ覚え」ですし「世間一般」ではなく「私の幼少期(1977年(昭和52年)から1983年(昭和58年)ぐらい)」に目に触れていたメダカの話ですので、ご理解ください。

❖令和のメダカ販売

ホームセンターやペットショップなどの一角にメダカのコーナーがあり、いわゆる一般的なリアル店では、ヒメダカ、黒メダカ、白メダカ、青メダカの基本種が販売されている。ブリーダーの方などは個人販売として、レアな種類や高価な種類のメダカを販売している。各地でメダカのイベントも開催されて、そこに足を運べば、変わりだねのメダカを購入することができる。
インターネット販売では、多くのメダカの種類が販売されており、手に入らないメダカはほぼないと言える。インターネットではオークション販売も盛んで、愛好家やブリーダー、そして一般の方々が育てたメダカが販売されている。インターネット販売やオークション販売では、親メダカはもとより、卵や稚魚と、輸送技術の向上もあって多様な販売となっている。

◆昭和のメダカ販売

インターネットのない時代。ペットショップやデパートで販売されていたが、ほぼペットショップ一択であった。そのペットショップで販売されているのは黒メダカ、ヒメダカの2種類であった。メダカコーナーなどはなく隅にポツンと置かれていた。当時は一般人にとって金魚が人気の魚であったので金魚主流の販売であった。金魚とメダカを混泳させて販売しているのも珍しくなかった。夏祭りでの金魚すくいで金魚と一緒にメダカが泳いでいたが、まずメダカを狙うことはなかった。メダカに逃げる(当時はそう思っていた)ことは、金魚すくいでの敗北を意味した。

❖令和のメダカ採取

どこにもいない。田んぼにいってもいない。メダカは2003年5月に環境省が発表したレッドデータブックに絶滅危惧種として指定されているのだから当然だ。田んぼも用水路が整理されて逃げ込むため池も整備されてしまっているから、冬に水のない田んぼにはメダカは棲めない。それでも近所の用水路でメダカが捕れたが何かが違う。早速、スマホで調べてみるとメダカによく似たカダヤシであった。蚊ダヤシは北米原産の外来種で1970年代には爆発的に分布を拡げたそうで(幼少期ですが全然知らなかった)、仕方ないのでメダカの代わりに飼ってやろうかと思ったが、2006年2月に外来生物法施行令により特定外来生物として指定されており、日本国内での特定外来生物としての輸入、販売、頒布、譲渡、飼養が制限と放つことが禁止され、最高三年の懲役、または三百万円の罰金刑の対象となっているので、リリースして諦めた。もう野生ではまず見ることができないのかも。

◆昭和のメダカ採取

近所の川や池、沼などで捕れた。ただ、上記にある通り、カダヤシが分布を拡げていたとの事なので、もしかしたらすでにカダヤシだったのかもしれないが知る由もない(ここではメダカとしておく)。メダカが捕れたが、当時の子供たちの人気は圧倒的にアメリカザリガニ(外来種)であった。捕れてもリリースしていたか、酷い話であるが持ち帰ってもアメリカザリガニのエサにしていたか、他のフナや金魚と一緒に飼っていた。魚で人気だったのは鯉(外来種)であった。フナでさえ、鯉が捕まえられない時のハズレだった。そして縁日や夏祭りで捕ってきた金魚も人気であった。メダカは不人気というか、まったく存在感のない魚であった。

❖令和の小学校(=令和では家族が小学校卒業後なので、ここは平成最後の年)
我が家族の在籍していた学校では、メダカを教室で情操教育の一環で飼っていた。校庭の池にもメダカが泳いでいた。我が家族の友人にも飼っている人も結構いると聞いたので「メダカは人気の魚なんだ」と改めて実感した。

◆昭和の小学校

令和と同じく在籍していた学校では、メダカを教室で情操教育の一環で飼っていた。メダカに人気はなく「メダカじゃなく、ザリガニ飼おうぜ!」という声が圧倒的であった。先進的?な小学校で当時、すでに今でいう「ビオトープ」なるものを校庭の一角で行っていた。ビオトープの区画がいくつか分かれており、深い池のような所、浅い池のところ、田んぼでイネが植えてあるとこなどが繋がっており、深い池のようなところにはマツモなど繁茂しており、メダカがいる光景が見れた。一方、何もいないエリアもあって、うまく活用できていないようでもあった。

❖令和のメダカ飼育

メダカの飼育は確立されており飼育用品は充実している。容器をとってみても睡蓮鉢はもとより、トロ舟、プラ舟、水槽、そしてメダカ専用の容器も販売されており沢山の選択肢があり、自由に選ぶことができる。屋内飼育も屋外飼育も選ぶことができ、ライフスタイルにあわせて飼育をすることができる。インターネットで検索すれば、先人たちの普段の飼い方はもとより、産卵方法、稚魚の育成方法、病気への予防や対処なども事細かく調べることができる。メダカ飼育自体に市民権を得ており、人に趣味として話すのも気にならない。

◆昭和のメダカ飼育

メダカ飼育は確立されていたと思うが一般人までに浸透していたか?というかというと「?」である。少なくとも当時の小学生には浸透していなかった。メダカを飼うなら本というか図鑑で飼い方を調べてからであったが、メダカだけ載っているわけではないので詳細は調べようがなかった。唯一気を付けていたのが塩素(カルキ)抜きだけであり、金魚を飼育する時に販売していたカルキ抜きを流用していた。メダカだけで飼育することはなく、金魚と一緒で飼育しているのが常識だったので、すぐに死なせてしまった。睡蓮鉢で飼っているメダカを友達の家で見かけたことがある。そこにはメダカと金魚が一緒に飼われていた。水草もなければ、流木や石など、メダカが隠れる場所もなく、おそらく産卵もできずに死んでしまったと思う。産卵して勝手に増えていくものだと思い、現在の産卵後に隔離するという考えは一切なかった(その前に死なせてしまっていた)。

❖令和のメダカの地位

メダカブームが起きて久しく、何百種類という品種改良が販売されており、金魚の人気を凌駕していると言っても過言ではない。

❖昭和のメダカの地位

メダカの地位は低かった。

1.ミズカマキリ、タガメ、ゲンゴロウ
2.鯉、アメリカザリガニ、サワガニ、ヤゴ、ブラックバス、ライギョ
3.フナ、金魚、クチボソ、モロコ、
4.ドジョウ
5.なし
6.メダカ、エビ、タニシ、カワニナ

幼少期のランキングは上記のような感じであった。最上位は当時でもレアな種であって令和の現在まで3種類とも野生の実物を
1回しかみたことがない。2番目に鯉やザリガニなどで雑食、肉食系が人気であった。そして現在では特定外来種のブラックバスなども当時は貴重な?種であった。3番目のフナやクチボソなどは手に入れるのに苦労しなった種であったのでレアという感覚はなかった。最下位のメダカ、エビ、タニシ、カワニナは完全にハズレであり、網で捕れてもその場でリリースすることが多かった。



※最後に
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